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親鸞聖人の教えとの出遇い|浄土真宗親鸞会

仏法で知らされた本当の私

 私が6歳の時、病弱だった父が、52歳の若さで亡くなりました。

「お父さんはどこへ行ったの?」

母に身を寄せて、何度泣いたか分かりません。漠然とした悲しみに、仏壇に参れば父に会える気がして、一人でお経を読んでいました。

 結婚して7ヵ月後、今度は主人の父が交通事故でこの世を去りました。無常に驚いていたとき、近所の人に誘われて実践倫理宏正会(朝起会)に入りました。

 しかし6、7年もすると、疑問がわいてきました。「みそぎ」(掃除)のあと唱和する「五つの誓い」に、「今日一日、人の悪を言わず、己の善を語りません」とありますが、朝起会の体験発表では、人の悪を指摘し、己の善を自慢するのです。

 そのころ、親鸞会の人とご縁がありましたが、当時、朝起会場の事務責任者だった私は、反発し耳を傾けませんでした。そのくせ図書館で、親鸞聖人の本を、時を忘れて読んでいたのです。

 

 そんな私を真実に導く、ある事件が起きました。

 ある朝、会場の責任者が、「あなたには感謝の心が足りない!」と大勢の前で叫んだのです。人前で恥をかかされた怒りが爆発し、心の中で相手を切り刻んでいました。

「少しはきれいな心になったと思ったのに。今までの9年間は何だったのだろう」

 朝起会を続ける気力はなくなりました。「空しい心を分かってもらいたい――」と仏教に心が傾き、親鸞会の人を思い出しました。 「聞きたい。でも行きにくい」。 二つの心が交差しましたが、思いきって訪ねました。

 一部始終を黙って聞いていたその人は、「人間の智恵の限界ですね」と言うのです。

「智恵の限界? どういうことだろう。仏教を聞きたい」。心が叫んでいました。

『正信偈』の「与韋堤等獲三忍」の韋提希夫人の話を聞いたときは、まるで私の心そのままを説かれているようで、流れ出る涙をどうしようもありませんでした。

 善ができるとうぬぼれていた心が破られ、見返りを期待する、毒のまじった善しかできない真実の自己が知らされました。

 心の頭が下がり、苦しみがスーッと消えていったのです。

 そして、初めて高森顕徹先生にお会いすることができました。

 阿弥陀仏の本願をじゅんじゅんとお説きくださる先生に、私は心の底から驚き、体じゅうが震えました。
「これこそ真実だ。何があっても、仏法を聞かせていただこう」と心が定まったのです。
「真実知らされた喜びを、まず家族に」と話をしました。ご法話に行くようになった主人の母は、「寺の話は『後生の一大事』が抜けてるであかん」と友達に聞法を勧めました。

 母と私の姿に、主人も少しずつ耳を傾け、ご著書を拝読するようになりました。 3人の子供も、主人の弟一家も、ご縁を結ぶことができました。仏法を中心に、家族仲良く生活しています。

 正御本尊を仏壇に安置したのを見て、寺の僧侶は、「本当はこうでなければならない。親鸞会は正しい」と小声で言っておりました。

 最近は特に、真宗寺院の急速な衰退が知らされます。真実を知らずに苦しんでいる人が世に満ちています。そんな中にあって、本当の親鸞聖人の教えに遇わせていただけたことを、心から感謝せずにおれません。


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