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親鸞聖人の教えとの出遇い|浄土真宗親鸞会

あの時、自殺をしないで本当によかった

 ある日の朝、小学生だった私は寝ぼけ眼をこすりながら台所にいるはずの母の姿を捜しました。お味噌汁のいいにおいが漂っています。そっと蓋を開けると私の大好きな大根と油揚げのお味噌汁。

「やったあ!」

 私はうれしくて 母の姿を捜しました。「お母さん、早くご飯食べないと、学校に遅刻しちゃう」。家中を母の姿を求め、捜し回りました。

  でもいくら呼んでも返事はありません。嫌な予感が私の胸をよぎりました。とうとう来るべき時が来たのだと……母は家を出ていったのです。

……物心ついた時から両親の夫婦喧嘩は絶えず、毎晩、私は恐怖の余り両方の耳の穴をふさぎ、布団をかぶり、おびえていました。

 それから間もなく、両親は離婚、親権は父。幼い私と兄を残して家を出たことを母はやはり後悔していたのでしょうか。学校の下校時間を見計らっては私と兄にこっそり会いに来ていました。

  私と兄は一時の短い時間を母と過ごせるのが何よりの楽しみでした。

  そしてある日のことです。母は私をひざの上にのせ、こう私の耳元でささやきました。

「ねえ、もしお母さんが死んだらどうする?」

  いつもの優しい口調でした。まさかこれが母の最後の言葉になるとは夢にも思いませんでした。

  私は大きな声で、「うん、もちろん私も死ぬよ、当たり前じゃない!」。母は笑っていました。

 それから程なく、母は列車に飛び込み、自殺しました。私は8歳、兄は10歳、その日から私の時間は止まりました。

  あまりのショックにお葬式に出ることさえできませんでした。もう会えない、大好きな母が死んだんだ、この事実をどうしても認めることができなかったのです。

  私が発してしまった「一緒に死ぬよ」の言葉が、最後の引き金を引き、母を自殺させてしまったのではないか。私のせいだ、私は自分を責め続けました。

  私がもう少し大きかったら、母のSOSに気づいて、助けることができたのに。自分を責め続け、5年生の時には手首をカミソリで切って、母の元に行こうとしました。

  兄も苦しんでいました。

  その兄も一昨年、末期のガンに倒れ、46歳という短い生涯を閉じました。

  兄夫婦に子どもはいませんでした。なぜなら兄は生前こう言っていました。

「こんな不幸な子供は自分たちだけでいい」

  兄が亡くなる数ヵ月前、父も同じくガンでこの世を去りました。

  父は本当に忙しい人でした。北海道開発のエキスパートとしてまだ不毛の荒地を開発し、飛び回っていました。きっと母も寂しかったのだと思います。

  そして父も一家団欒を望んでいたのでしょう。しかしそれはかなわぬ ものでした。

  亡くなった母の遺骨は、小さな骨壺に納めて、思い出深い北の大地から私の住む富山へと連れて帰ってきました。

  飛行機が離陸する時、私はあふれ出る涙を止めることはできませんでした。35年の長い歳月を経て、やっと母は私の元へ帰ってきてくれたのですから。

 私は、母の自殺がずっと心の重荷となり、重度のうつ病となってしまいました。

 どの病院にかかっても治らず、ついには医師から、「あなたが治ったらノーベル賞ものだ」と言われてしまいました。

 最後に門をたたいた病院で、初めてじっくり話を聞いてもらい、
「よく生き延びてこられましたね」
という言葉に、一気に肩の力が抜け、すーっと体が楽になりました。

 それをご縁として、不思議にも親鸞聖人のみ教えに遇わせていただくことができました。「人生は難度海」という親鸞聖人のお言葉が胸に突き刺さります。

 どうしてこんな環境に生まれてしまったのか、生まれてきたことを恨み通 しの人生でした。しかし今は、何の間違いか、本当の親鸞聖人のみ教えを聞かせていただいている私です。

 このような境遇になければ、決して真実のみ教えを聞かせていただくことはありませんでした。あの時、自殺をしないで本当によかった。そして、母にこの真実、一言でも聞かせたかった。人生の目的、「なぜ生きる」を知らされた喜びで、今は胸が一杯です。


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