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親鸞聖人の教えとの出遇い|浄土真宗親鸞会

最愛の娘の事故死を縁に、真実に遇えた

 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

『恩徳讃』は、私の胸に込み上げてくるものがあり、涙があふれてきます。広大無辺な限りないご恩に、今、感謝せずにおれない私です。

 

 幼いころ、腎臓病で学校をしばらく休んでいたときです。突然、頭に言葉が浮かんだのです。

「人はいつか死ぬのだ」

 私は半狂乱になり、その大声で隣の人まで駆けつけてきました。その時のことを今でも忘れられません。いつも死の恐怖が頭から離れませんでした。

 祖母に育てられてきた私は、両親の愛情を受け入れられず、心を閉ざし心配ばかりかけていました。

 18歳の時、天理教の教会の役員をしていた母に勧められて、3ヵ月、泊まり込みで、「修養科」に行ってきましたが、得られたものは何もありませんでした。

  孤独な心を埋めようと、創価学会にも入会いたしました。

  やがて、父が肝硬変で亡くなり、私も嫁いでいきました。時は流れ、独り暮らしをしていた母と、私たち家族は同居するようになりました。 それから、家の中は、醜い心を出し合う修羅場となったのです。

 そんな家庭の苦しみから、いろいろな宗教に迷っていきました。因果の道理も知らず、どうしたら仲良く暮らせるようになるのか、友達に勧められるまま、PL教にも顔を出しました。

 もちろん、そんな教えで幸福になれるはずもなく、苦しみは深まるばかりでした。

 

 そんなある日、1枚のチラシが目に留まりました。

「たとえ、死がきても絶対に崩れない幸福」
の言葉が目に焼きつき、ご法話に参詣しました。ところがその時は、私が求めてきたものだとは分からなかったのです。

 そのころ、母が入院、検査の結果は、末期の卵巣癌でした。

 見る見るうちに、やせ細っていく母、それまでの親不孝に泣きました。平成4年1月、母は逝きました。

 同年7月8日の夜、予想もつかない大きな出来事が起こりました。今度は娘が無常に襲われたのです。

「交通事故で意識不明の重体です。すぐ病院に来てください」という電話が入ったのです。

 駆けつけた主人と私は、頭から顔中を包帯でぐるぐるに巻かれたわが子の姿を見て、気も狂わんばかりでした。

 友達と4人で、ドライブに出かけた帰り、電柱に激突したとのこと、しかも他の3人は軽傷だったのです。

「4人乗っていて、なぜわが子だけが、こんなむごい目に遭わねばならないのか」と悔しさでいっぱいでした。運命のいたずらを恨まずにおれませんでした。

 娘は、小さなころから手のかからぬ子でした。短大に合格して、独り暮らしを始めてから4ヵ月目のことでした。

 医学の力で、一時、目を開けるようになり、回復に向かったように見えましたが、高熱から肺炎を併発して、呼吸困難となり、8月13日の朝、18年の短い命を閉じました。

「なぜだ。どうしてだ」 と主人は、床をたたきつけて泣き崩れるだけでした。

 私も谷底に突き落とされたような衝撃とショックで全身の震えが止まりませんでした。

 悲しみに暮れていたある日、親鸞会の人が、訪ねてこられました。

 夢の世を あだにはかなき身と知れと 教えて還る子は知識なり 

 その人は、最愛の息子さんを亡くしてから、仏縁に遇った人です。真剣な話しぶりに心動かされ、初めて高森顕徹先生のご縁に遇わせていただきました。

 分かりやすくお説きくだされるご説法に感激いたしました。

 知らされたのは、底知れぬ欲いっぱいの、我利我利の私でした。すべての元は私の迷いからでした。「こうまでしていただかなければ分からぬ大ばかものでした」と泣かずにおれませんでした。

 若い命と引き替えてまで、私が求め続けてきた真実の教えに、わが子が遇わせてくれたのです。母と娘の命を無駄にできません。今は人生の目的を知らされ、喜びの涙でいっぱいです。


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