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親鸞聖人の教えとの出遇い|浄土真宗親鸞会

寺の話と雲泥の差

 私は、漢方の薬屋を営む父と、学校の教師の母のもと、大阪市に生を受けました。両親と、6人の兄弟に囲まれ、いつも笑いの絶えない、にぎやかな家庭でした。
 しかし、私が成長するとともに、日本は太平洋戦争に入っていき、高等女学校に通っていた私も、学徒動員となり、軍需工場で働くようになりました。
 空襲は、日ごとに激しくなり、B29の爆撃で、辺りは火の海と化しました。何もかも破壊され、住む所のなくなった私たち一家は、敗戦とともに、母の故郷である鳥取県へと、移り住んだのであります。

 母の実家は浄土真宗であり、私をよく、近くの寺へ連れて行ってくれました。
 しかし、坊さんの話は、世間話ばかり。教えは全くありませんでした。
 ただ、今でも心に焼きついて忘れられないのは、魚を料理しながら、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。今度は、人間に生まれてくるんだよ」と言っていた母の姿と、いよいよ最期を迎え、「八十に、生きながらえし、この身体、み仏に、あうぞうれしき」と歌を詠み、母の手を握って、後生へと旅立っていった父の姿です。

 やがて私は結婚し、3人の子供に恵まれました。しかし、長男が結婚し同居するようになってからは、食事のこと・家事のことすべてにおいて、嫁とぶつかるようになりました。
 名前を呼んでも返事がない。注意すると反発し、部屋に閉じこもって出てこない……。
 私がトイレのシートを暖めていると、すぐに、電気代がもったいないとスイッチを切ってしまう。
 体調を崩して寝ている私を知らずか、部屋の窓を開け、掃除機をかけていく。

 何で、嫁はこんなに、冷たい仕打ちをするのか。……何でだろう?
 頼りにしていた主人も、糖尿病を患ってからというもの、機嫌が悪くなり、私の気持ちなど、ちっとも分かろうとしてくれない。
 こんなに一生懸命、介護しているのに、何で分かってくれないのか。
 こんな苦しい生活、いつまで続くのか、いっそ、早く死んでしまいたいと、悩みは深まるばかりでした。

 闘病生活の果て、5年前、主人はこの世を去りました。
 主人を失ってからというもの、嫁との対立はますます深まるばかり。
 これから一体何を支えに生きていけばよいのか、途方に暮れていました。
 趣味の詩吟だけが、いっときの、慰めでした。

 悲しみに沈んでいた、そんなある日、近所に住む人が、
「あなた、親鸞聖人のみ教え、聞いてみませんか。明るい心になれますよ」
と講演会に誘ってくれたのです。
「親鸞聖人」という、懐かしい言葉を聞き、母と寺参りした思い出がよみがえってきました。
 早速、講演会場に行き、驚きました。なんと、寺と違う!世間話など全くなく、教えばかりなのです。
「人生には目的がある。親鸞聖人のみ教えにのみ、人生の目的がある」
と講師の先生が、力一杯話しているではありませんか。
 これだ!と心が叫んでいました。すぐに親鸞会に入会させていただき、私の聞法が始まりました。

 まず、「仏法は聴聞に極まる」のお言葉に従い、毎月の高森先生のご説法は、欠かさず聴聞させていただきました。
 お話を聞かせていただくまでは、「嫁が悪い」と思っていたのですが、 因果の道理を聞かせていただいてからは、私自身、今まで恐ろしい種まきをどれだけしてきたのか。嫁にあのような言動をさせたのは、むしろ私ではなかったのか、と反省するようになりました。

 家のお仏壇には、「南無阿弥陀仏」の正御本尊を、ご安置させていただき、朝晩、欠かさず、正信偈をあげさせていただくようになりました。
 私の姿をみて、3人の孫娘も、一緒にお勤めをするようになりました。

 そして今では、嫁も、「お母さん、気をつけて聴聞に行ってきてくださいね」と温かく送り出してくれます。
 光に向かって進めば、幸せは後からついてくる、と身をもっで感じさせていただく毎日です。


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